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沖縄の自治は

category - 未分類
2016/ 05/ 04
                 
ブログ更新を怠ってしまいました。

4月3日~5日にかけて自治体議員立憲ネットワークの研修で沖縄に行ってた。
なぜ自治体議員が沖縄か
市民が、何度も選挙で自分たちの意思を示しているにも関わらず
国によって地方自治を踏みにじられているのが沖縄。
地方自治の重要性を学ぶのにふさわしい土地のように思える。
立憲ネット・おきなわの議員を中心とした企画に、全国から地方議員130名以上が沖縄に集まった。


会場へ向かう途中のキャンプハンセン
タクシーの運転手さんが公園のような場所の横に車を止めて案内してくれた。
公園の遊歩道からけもの道のようになっているところを抜けるとそこは基地のフェンス。

okinawa1.jpg

「未亡人製造機」と呼ばれるオスプレイが見える。

確かに普天間基地は市街地にあり、政府は「危険」「危険」と言っているけれど
実は最も事故率が高いのは嘉手納基地だとか。
嘉手納は移転する気がないので名前も出てこない。

okinawa2.jpg



講師の浅井春夫先生が沖縄に住んでいたころ偶然自宅の近くで撮った写真だそう
手が届きそうな近さ、
沖縄の生活は私たちの想像をはるかに超える。

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研修会の会場
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稲嶺名護市長も登壇
鮮やかなピンクのシャツに書かれた文字は
「負けない方法、勝つまでずっと諦めぬこと」
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講演後の懇親会に出席された翁長知事とのツーショット
知事の講演の中で驚いたのは
本土の私たちは「沖縄の経済は基地があるからもっている」と思い込まされているが

「県の経済に対する基地の貢献度は5%にすぎない」
「沖縄県振興予算は全国で十数番目、平均より少し多い程度」

との話しに、私たちは沖縄県のことを知らないのだと思い知らされた。
okinawa7.jpg

二日目、雨の中キャンプシュワブの抗議テントを激励に訪れた。
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何人ものおばぁが雨の中頑張って座り込みを続けている。
これ、本土では「活動家」とか「運動家」とか「左翼」とか呼ばれる行動でしょう。
なぜ、地元の80歳を過ぎたおばあさんたちが無理をして座り込みをしているか、
「どんな理由があるのだろう?」と思うのが心ある人の感覚では?
赤いジャンパーのふみこおばぁは沖縄戦の時に、ガマ(穴)の中にいて火炎放射器で焼かれ、背中に大やけどをした経験者だから基地に反対し続けている。
基地のフェンスには、市民に暴言を吐き、暴力を振るうことで有名になった県警機動隊の中隊長に対する抗議の横断幕も貼られている。
自民党の憲法草案にあるように、個人より国家が優先になれば、この中隊長は正当な理由で暴力をふるっていることになる。
今はこの人だけが目立っているけれど、これが正義になってしまうとしたら・・・と考えるとゾッとする。

国会で「なぜ自民党憲法草案では「個人」を「人」と置き換えているのか」と質問され
安倍総理は「さして意味はない」と答弁してのけた。
意味がないわけがない。
意味がないなら変える必要もないはずだからだ。
個人の権利を制限しようとしているのは明白。

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個人の権利で言えば、つい最近、ハンセン病患者に対する憲法違反があったかを争う裁判の判決が出た。

ハンセン病の患者が裁判を受けるとき、裁判所で裁判を行わず療養所の中の臨時的な簡易法廷で裁かれたことが人権侵害に当たるのではないかとの訴えだったわけだが、残念ながら憲法違反には当たらないとの判決だった。
まだ差別は続いているのか。

ハンセン病療養所の「沖縄愛楽園」を訪問。
本当は広大な敷地を歩いて園内に残る銃弾などの戦跡も見学する予定だったが、猛烈な雨に見舞われて断念。

ハンセン病は国により隔離政策がとられた病。
幼い子どもでも、らい菌に感染すると家族から引き離され、療養所で疑似家族と生活をしたそう。
当時患者たち世話をする人たちは、患者の生活圏内に、防護服のようなものを着て消毒しながら入っていたそう。
のちに、実は感染力は弱く、治療法も確立してからも差別的な扱いをされることが続いていたとのこと。
今も一般社会での生活の場を失った方々が80名以上生活されていると聞くと、ハンセン病の隔離政策は過去にあった史実ではなく今現在も確実にある人権問題なのだと実感する。




3日目は、早朝から那覇を出発し、本島北部の本部港からフェリーで30分の伊江島へ
戦時中、旧日本軍が東洋一といわれる飛行場を建設、沖縄の縮図ともいわれる伊江島。
上陸してきたアメリカ軍との攻防により6日間で島民の3分の1に当たる1500人が命を奪われた。
現在でも島の32%が米軍に使用されている。
非暴力の抵抗を続け、沖縄のガンジーとも呼ばれた、故阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんが創設した「ヌチドゥタカラの家」を訪れる
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戦争を形で残している資料館には、たくさんの薬きょう、原爆の模擬爆弾、沖縄戦の際に母親の手の中で殺された赤ちゃんの肌着、パラシュートで作られた衣服をはじめとする汚れた衣服の数々。
当時の汗の染み込んだまま、匂いもそのままに展示していると説明を受けた。
米軍に殺された島民の写真なども記録として冷静に残している。

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ベトナム戦争のころ、ベトナムの少年兵が訓練に来ているところに遭遇した写真
「遠くまで大変ですね」と声をかけると「ここは平和でいいですね」と答えたがすぐに米兵につれていかれたそうだ。

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現在の館長、謝花悦子(じゃはなえつこ)さん。
戦争できる国へと突き進む現在の政権の危険性を黙ってみていることはできない、と安倍政権に対して非常な怒りを持っておられた。
沖縄で何が起きたかを知ると、国により犠牲を強いられ続けている沖縄の怒りは当然のこととして身に染みた。

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